私の好きなミュージックビデオ

 こんばんは。最近はもっぱらミュージックビデオを作っています。動画をいじるのは初めてでめちゃ悪戦苦闘中です。でもやっぱり何かを作るのってたのしいね〜というかんじです。ものを作るたのしさは、作ることそれ自体のたのしさの他にも、作る側の視点を手に入れることで好きなものを新たな角度から見られるようになるたのしさもあるな〜というのをひしひしと感じています。今回はそんな、新たな視点から見てもっと好きになったMVたちの紹介記事です。

 

① 宇多田ヒカル 『光』


宇多田ヒカル - 光

 MVを作るようになってから見直した時、一番驚いたのがこのMVでした。めちゃくちゃ良いMVだなという驚きと、今まで自分は本当に何も考えずMVを見ていたんだなという驚き…。

 内容としては宇多田ヒカルが食器を洗いながら歌ってるだけです。わぁーニコニコーたのしそー。もうほんとに宇多田ヒカルが洗い物しながら歌ってるだけ。だけなんですが…。ずっと洗い物をしていた宇多田ヒカルが、Cメロ(2:53)で突然どっか行っちゃうんですよね。ただでさえ地味な映像なのに主役がどこかへ…。そのままCメロはずっと無人の台所だけが映っていて、これ大丈夫なんかな…と心配になったところで、ラスサビ直前戻ってきた宇多田ヒカルの両手に…!!色違いのマグカップ…!!!うわ…!!これ、"いる"…!!!やばい…やばい…とビビっていると…3:50…チラッとわきを見て…慈しむような表情を…。これ…”””いる”””…!!

 このド名曲に4分半ワンカットワンカメラ、普通のキッチンでの撮影とめちゃくちゃ低予算で挑戦的なMVをつける度胸すごいな〜監督誰なんだろ〜くらいの気持ちで調べてみたら…なるほど…宇多田ヒカルと結婚直前の紀里谷和明氏だったんですね…。そういえば当時大きなニュースになっていたのを見た気がする…。しかも撮影場所は自宅だそうで…。結婚直前の恋人と自宅のキッチンでこのMV撮ってる時間どんな気持ちなんだろうな…。(めちゃたのしそう)

 それにしても最高な曲だな…。

 

② butaji 『あかね空の彼方』


butaji - あかね空の彼方(Official Music Video)

 MV を大別するとしたら、音楽的であるか否か、商業的であるか否か、といったものさしがあると思うんですが、音楽的でも商業的でもなく、極めて映画的だなと思ったのがこのMVです。小節の変わり目とカット割りがほとんどリンクしないんですよね。最初の空のカットくらいじゃないのかな。

 こちらは『きみの鳥はうたえる』や『THE COCKPIT』で知られる三宅唱監督のMVです。『きみの鳥はうたえる』を観た時も思いましたが、三宅監督はその場を描くことでしか描けない感覚や感情を映像で表現するのが本当にうまいですね…。彼の映像を観たときに感じたものを言葉にするのはとても難しい。だけど確かに「何か」を感じる。butaji氏の視線や猫の視線、コンクリートの壁、土、車窓から…。切なさのような、懐かしさのような、愛おしさのような…。三宅監督の映像と曲がバッチリハマってるMVだなと思います。

 何より曲も声も演奏も最高。シンプルイズベスト。素晴らしい声や言葉があれば小難しい転調なんかいらなくて、シンプルな下属調転調で一つで事足りるんだ…。

 

③ The Dig 『Simple Love』


Simple Love (Official Video)

 ちょーーー好きな曲。そして最高なMV。0:53最高すぎるでしょ。誰なんだよ。

どこまでもコミカルなんだけど、コメディで終わらない素晴らしさ。いやもう本当に最高だなこの曲…。

 

④ odol『光の中へ』


odol - 光の中へ (Official Music Video)

 「不在」…。『光』と通ずるものがありますが、「いないこと」は時として「いること」よりも強い存在感を持ちますね。このMVはいろんな解釈ができそうですが、旅立ちなのかな…?

 ディレクターは林響太朗氏。他にもodolの『four eyes』などのMVを手がけるほか、星野源や米津玄師のMVのディレクターも務める方です。私は彼の映像がかなり好きで、中でもこの渋谷で生活する人々の生活音にフィーチャーした映像かっっなりかっこいいんですよね…。「インダストリアルと暮らし」とでも言ったような…。

 


東急グループ「BEYOND NOW」

 

⑤ TAMTAM 『夏のしらべ』


TAMTAM - 夏のしらべ (Official Video)

 ウワァーもうだめだ、泣いてしまう…好きだ…。

 青春は「瞬間を共有すること」なんだ…絶対そう…。

 

 

 これを書いている間に書きたいMVをまたたくさん見つけてしまったので、MV研究記録がてらまた書くかもしれない。よかったらみなさんのおすすめのMVも知りたいです。

「背負う」ということ / 広瀬奈々子監督『夜明け』について

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夜明け
※本文は『夜明け』の内容や結末について触れています。未視聴の方はぜひご覧になってからお読みください。

 広瀬奈々子監督『夜明け』を観た。「是枝裕和監督、西川美和監督の愛弟子」「分福の新星広瀬奈々子監督鮮烈のデビュー作」と言われたら見ないわけにはいかない。公開していると知った翌日の朝一で観た。本当に良かった。HPからあらすじを引用する。

 地方の町で木工所を営む哲郎は、ある日河辺で倒れていた見知らぬ青年を助け、自宅で介抱する。「シンイチ」と名乗った青年に、わずかに動揺する哲郎。偶然にもそれは、哲郎の亡くなった息子と同じ名前だった。シンイチはそのまま哲郎の家に住み着き、彼が経営する木工所で働くようになる。木工所の家庭的な温かさに触れ、寡黙だったシンイチは徐々に心を開きはじめる。シンイチに父親のような感情を抱き始める哲郎。互いに何かを埋め合うように、ふたりは親子のような関係を築いていく。
だがその頃、彼らの周りで、数年前に町でおきた事件にまつわる噂が流れ始める──。

 ……あらすじからもう良い。好きなやつだ。
 自分が何も持っていないことを棚に上げ、育った環境や周囲の人々に不満を感じる浅ましい青年「シンイチ」=「光」を演じた柳楽優弥が素晴らしかった。(『ディア・ドクター』のときの瑛太と非常に対照的で面白かった。)そして、喪失の日々を必死に過ごしながらも、「シンイチ」にのめり込んでしまう不器用な初老の男性、哲郎を演じた小林薫はなお素晴らしかった…。この二人以外では『夜明け』は別物になっていただろう。そう思えるほど良かった。
 『夜明け』について報じている各メディアを見ると、孤独な人々が擬似家族になっていくストーリーや共通の俳優陣などからか、是枝監督作品より受けた影響を指摘されている。しかし本当にそうだろうか? 私はむしろ是枝監督や西川監督のそばにいながら、よくここまで独自の物語を産めるものだと思った。西川監督は哲郎をここまで単純でありながら複雑に、愚かには描かなかったと思う。また、フランケンシュタインを愛する是枝監督は、ここまでセンチメンタルを捨てられなかっただろう。そして、さらに言えば両監督とも「分かる」脚本も「分からない」脚本も描ける方であることは間違いないが、広瀬監督はこの作品で「分かる」と「分からない」の間を描いていたと言えると思う。「分かる」か「分からない」かが分からないのだ。様々なレビューや感想を読んでいると、この作品が典型的な「再生の物語」「青年の成長過程を描いたもの」として語られているのを散見するが、そうではない。しかし、「分からない」映画でもない。渇き、ないものねだりしかできない「シンイチ」、いや「光」は「分かる」対象とも「分からない」対象ともならない。これは、今までの分福が描くことができなかった領域ではないだろうか? そういった意味でも、『夜明け』は是枝監督、西川監督作品とも違った、これからの広瀬監督作品を決定づける一作であったと思う。広瀬監督が公開前夜祭の両監督とのトークショーの最後に語った「違和感に映画の本質がある。」という一言は、まさにそれを表していたと思う。

 また、この作品の大きなテーマとして「期待」があったと思う。哲郎は川から背負って連れて来た青年が「シンイチ」と名乗っただけで哀れな期待を抱き、「シンイチ」は自分の生まれ育った環境について「期待されるのは兄貴ばっか」と愚痴をもらす。木工所の人々は徐々に光を信頼していき、哲郎は光に「期待してるんだ」と叫ぶ。その期待を背負い、光は哲郎の息子である本当の「シンイチ」を真似て髪を染め、「シンイチ」の服を着て、少しずつ同化していく。この同化の様子も非常に素晴らしかった。光の服と哲郎の作業着と「シンイチ」のタンスから選んだ服が入り混じった服装など…!そして何より、哲郎が結婚パーティー前夜にいなくなってしまうシーン…!!光が哲郎夫妻を祝うためのボードを作っている最中に、哲郎の結婚相手である敬子から哲郎がいないと連絡を受け、光は街へ探しに出る。必死に探し出すと哲郎は呑んだくれて潰れてしまっており、「独身最後の夜だからな」なんて言いながらベンチから立ち上がれない。光は哲郎に肩を貸し、背負って連れて帰る。それはまさに、哲郎が自分を川から助けてくれた時のように…。ここで初めて光は自分がずっと追い求めていた「期待」の裏側にある、背負わなければいけないものとしての「期待」の重みを知るのだ。「このままじゃ誰も幸せになれないですよ。」なんて言いながら…。その重さを知った光は「シンイチ」との同化を止め、髪を黒に戻し、光自身の服を着る。そして結婚パーティー当日。「シンイチ」に傾倒してしまっている哲郎も、それに不満を抱いている敬子も、かろうじて幸せなパーティーを過ごせるはずだった…。パーティーは円満に進行し、哲郎はパーティーの最後のお礼を述べ、「シンイチ」を呼ぶ。「期待の新入り」だなんて嬉しそうに。光は何度も遠慮しながらマイクを受け取り、そしてついに、光は全てを明かし求めていたはずの期待全てを投げ捨て逃げ出してしまう。そんな光を追いかけ「シンイチ」「待ってくれ」「俺にはお前が必要なんだ!」と叫ぶ哲郎の哀れさ、やりきれなさ…。哲郎が最後に「光!」と叫んだ声で光は足を止め振り向くものの、そのまま走り去ってしまう。光のその、自分が追い求めていたものの裏面を見るや逃げ出す浅ましさ…。夜通し走り続けボロボロになってたどり着いたのは…。ラストシーンの素晴らしさは師匠譲りだったと思う。
 これを見た人がこの作品に違和感を持つのもおかしくはないと思う。光は「期待」を求め、哲郎は「期待」を与え、光は心地よいときだけそれに応えながら、その重みを味わった瞬間に逃げ出してしまうのだから。結局光は成長したように見せかけ逆戻りしているのだから。だがそれが、ないものをねだってしまう、さらに言えばないものしかねだることができない光という青年なのだ…。「シンイチ」を求め、光に逃げられてしまう哲郎は哀れだ。だがそれ以上に、渇くことしかできない光の悲しさは…。ううむ…。早くもう一度見たい。

 『夜明け』、とても新しく、本当に素晴らしい作品でした。
 

Tara Jane O'Neilのポストクラシカル然としながらそれを超えたサウンドトラックは必聴。これだけでもう一本記事が書ける。)